表裏を繋ぐウルトラマン

平成ウルトラマンの中でメビウスの一番の特徴と言えば、やはり舞台を初代「ウルトラマン」から「ウルトラマン80」までの、「ウルトラ兄弟」が訪れた地球と設定した事にあるだろう。逆に、それまでの平成作品群は何故舞台を独立した世界としていたのか。


1992年に出版された別冊映画宝島「怪獣学・入門」と言う本の中に、「持続としてのウルトラマン」と言う記事がある。平成ウルトラマン制作陣の一人である小中千昭氏が「ウルトラマンG」の制作について語ったものだが、後の平成作品群を彷彿とさせる示唆に富んだ内容になっている。

この作品のウルトラマンは、真に超人たるべきであり、兄弟という人間的な家族構成はその神秘性をスポイルする。

小中氏はウルトラマンの背景について記事の中で以上のように述べている。他にも、システム化された怪獣退治にセンス・オブ・ワンダーを見いだす事の難しさ等も挙げられ、平成作品群が昭和作品群と決別しなければならなかった理由が挙げられている。
しかし、御存知の通りメビウスウルトラ兄弟と共闘し晴れて「兄弟」の仲間入りをしている。それでは小中氏はこの考えを翻したのだろうか。


客演したウルトラマンの中では80が「日本オタク大賞06/07」なるものを受賞したというニュースは記憶に新しい。当初は中学校教師という設定が盛り込まれていたにも関わらず、制作の都合でシリーズの途中から排除せざるを得なかった事情を解釈し直し、生徒達との再会を描いて好評を博していた。
ウルトラ兄弟」と言う設定の発祥が児童誌である事は知られている。勿論制作側がそれを積極的に取り入れたのに違いはないが、メビウスの物語ではこれを再解釈した。
あるウルトラマンが天涯孤独となった少年の兄となると決めたその時から、光の国では「兄弟」と言う言葉が特別な意味を持つようになったと、ウルトラマンメビウスであるヒビノ・ミライは語る。つまり、ウルトラマンは人間との関係を通じて初めて「兄弟」と言う概念を獲得したと言う訳だ。
超越してしまっているが故に人間的な関係を築けなかった光の国の住人達は、だからこそ地球を「かけがえのない星」と呼び、侵略者を阻む「盾」となる事を誓ったのだろう。


ウルトラマンと言う存在についてここまで突っ込んだ解釈を行ったシリーズは空前絶後に違いない。